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B.Q.R. J-113 『7カ国語をモノにした人の勉強法』

  前回の記事の続きなんだけど、この『7カ国語をモノにした人の勉強法 (祥伝社新書331)』で橋本陽介は「語感」っていうことについて、例えばこんなようなことを言っている。

ところが、日本人の学習者のほとんどは音声を重視していません。言葉を音声から覚えようとしないのです。音声の感覚をつかむことが、その外国語の語感をつかむために、まず重要なことであるにもかかわらずです。ーp.32

あるいは......

中国語でも、日本語の「やさしい」にピッタリくる表現が見つかりません。英語や中国語の「やさしい」を考える前に、日本語の語感を知っておかなくてはなりません。ーp.124

  実はこの著書で触れられている「語感」って、個人的にはちょっとどういうことを言ってるのか若干つかみづらいような所があったんだけど、でもまあ要するに、別の言い方をすれば「言葉の感触」、もしくは「音の感触」(あるいはこう言うとややぼやけちゃうけど「文化」)っていうようなことなんだろうと思う。

  例えば、「懐かしい」だとか「しょうがない」、「いってきます」「いただきます」「お疲れ様」なんていう日本語が、「英語にはない日本語」としてよく取り上げられることがある。

  こういう日本語って、まあ一応それなりに訳すことはできるから、英語に全く存在しない表現ってわけじゃあないとはいえ、その「感触」のようなものがやっぱり微妙に違うから、もうそのままカタカナ英語ならぬアルファベット日本語? として使ってしまえ、っていうことになって、それで例えば "Filing taxes is mendokusai" なんてことになったりする(かどうかはともかく、以前何かのラジオ番組で、初めて "KAIZEN METHOD" っていう表現を聞いたとき、「え!  "改善" って英語化してるんだ」ってちょっとびっくりして、でも言われてみれば "改善" って「いかにも」って感じの日本語だよなって思って、まあこれなんかは「文化的な感触」ってことになるんじゃないだろうか)。

  たぶんこんな動画なんかを観てみると、その「微妙に違う感触」っていうのが感覚的にも分かると思うんだけど、そこからそれをきっかけに少し発展させて、「言葉の感触」(あるいは「音の感触」「文化的感触」)っていう普段あんまり意識していないものの存在に思いを馳せれば、たぶんこの著者が言う「語感」っていうものの輪郭がより明瞭になってくるんじゃないかって思う。

  別にこれは、「懐かしい」とか「しょうがない」みたいな、英語にはない(あるいは訳しづらい)表現のみに胚胎している「感触」っていうわけじゃあない。実際には、むしろ全ての言葉に、しかもいろんなレベルで、いろんな形でまとわりついている。

  語学学習における「認知言語学的アプローチ」っていうのは、前回の記事の引用にもあるように、「人間である以上、外界を認知する仕方は似通っている」っていう点に光を当てた方法で、だから例えば、「懐かしい」っていう日本語を外国人が学習する場合、それをある特定の文脈や状況において聞いたり使ったりしていれば、その「前言述的な意味」っていうか「言わんとすること」は、やがて自ずと認知されるっていうことになる。

  そしてその時、その言葉の「語感」もまた認知されるわけだけど、重要なのが、この場合、「論理中心主義的なアプローチ」の方法とは違って「抽出的な分析=記述」を要さないっていう点なのだ。(B.Q.R. J-114へ続く)

 

7カ国語をモノにした人の勉強法 (祥伝社新書331)

7カ国語をモノにした人の勉強法 (祥伝社新書331)