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B.Q.R. J-112 『7カ国語をモノにした人の勉強法』

「自分の外側の世界を把握する仕方」、言いかえれば「認知の仕方」は、人間である以上は似通ってくるものなのです。このように人間の認知能力から言語を考える言語学を特に「認知言語学」といい、1980年ころから流行しました。(中略)逆に、伝統的な考え方のもとでは、語彙の意味や記述をできるだけ細かく分類しようとしてきました。これは論理中心主義的な言語記述のあり方です。しかし、言語を習得するためには、認知言語学的なアプローチで把握することが望ましいと考えています。 (『7ヵ国語をモノにした人の勉強法』橋本陽介 著ーp.139)

 

  いわゆる伝統的な訳読式英語学習を推す保守的な著者(主に大学教授)をB.Q.R. J-89からB.Q.R. J-96にかけて取りあげた上で、それとは反対の位置に立つやはり大学教授をB.Q.R. J-97以降取りあげてきた。

  ただ、ちょっとここまで橋本陽介の引用記事をあんまりだらだらと書き続けちゃってる感があるから、ひとまずこの辺りで『7ヵ国語をモノにした人の勉強法』については終わりにして、次回以降また別の教授の著書を取りあげてみようかと思ってるんだけど、この英語教育について保守的な立場に立つ人たちと、それとは反対の位置に立つ人たちの方法論的な違いって(既に書いてきたようにいろんな違いがあるものの)、結局の所この「言語学的なアプローチ」っていう点にその最も重要かつ根本的な違いがあったように思う。つまり、前者の人たちは "論理中心主義" 的な習得プロセスを、後者は "認知言語学" 的な習得プロセスを、その方法論的アプローチの要諦としてると。

  僕自身がいわゆる受験英語を教えていた頃は、このアプローチの仕方としては極右に位置していたと思う。それは、「試験を通す」っていう時間的にも能力的にも極めて限定的な目的を達成するいわば「びぼう策」として、まあ一応ギリギリ1つの有効な方法足り得ていた。

  受験英語を捨てて、この「認知言語学的アプローチ」的やり方でもってようやく英語を聞いてしゃべれるようになって、そしてその結果として受験英語的なリーディングではない「音」を土台としたリーディングをある意味「取り戻した」今の僕なら、じゃあこれから語学学習を進めていこうっていう人、とりわけ中高生に対して、はたしてどっちのアプローチを推すかって考えると、残念ながら(って言うのもマインクラフトで英語 1-65で引用したKrashenじゃないけど、僕は10年以上に渡って「論理中心主義的なアプローチ」でもって膨大な教材を作成し、受験英語を教え、その方法に習熟し愛着すらいだいてたからなんだけど)、だから非常に残念ながら、この橋本陽介言うところの 「認知言語学的なアプローチ」の方をお勧めするっていうことになってしまう。

  理由を挙げればきりがない。例えば上記のような自分の語学力の質的変化、向上以外に、現在の学習環境の急激な進歩だとか、英語学習にかける負担の軽減だとか、2020年以降はそもそも試験自体が大きく変わっていくだとか......。ただ、この著書と絡めてあえて1つ取りあげるとすれば、「語感」っていう観点から語れるいわば「言語的な理由」っていうことになるかもしれない。(B.Q.R. J-113へ続く)

 

7カ国語をモノにした人の勉強法 (祥伝社新書331)

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