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B.Q.R. J-107『7カ国語をモノにした人の勉強法』

  前回の記事の続きなんだけど、現在中学高校で展開されている "オーラルの授業" っていうのは、文科省の提言にもあるように、"能動的な情報発信能力" の向上をその主要な目的としているわけだけど、でも "能動的な情報の発信" っていうのは、紙に書いたものを読み上げるっていうような「外化したものの再表現」なんじゃなくて、それよりもっと手前のもの、つまり、言葉を媒介として自らの言わんとすることを相手に投げかける「内的なものの外化」だろうと思う。

  「内的なものの外化」っていうのは文字通り、その場その場で内面に生じている前言術的なものを、遅滞なく即興的に外へ繰り出していくっていうことなわけだけど、僕が見る限りでは、YouTubeにアップされた中学高校の授業風景で、そういった能力の伸長を目的としているように見える授業はほとんどなかったし、また、それが学生によって現に実行されているような場面に出会うこともほとんどなかった。そこにおいて散見されるのは、主に瞬発的な「再表現」でしかない。

  瞬発的な「再表現」っていうのは、"能動的な情報発信能力" とはほとんど関係ない。それは、良く言えば「口慣らし」、でも実際には、単なる暗唱力トレーニングみたいなものって言っていいかもしれない。

  もちろんそういう瞬発的な「再表現」が、のちに「内的なものの外化」の土台となる可能性もあるとは思うんだけど、でもそれすらも、「文字」を媒介としているようだと(ヴォイストレーニング等一定の有用性があるとはいえ)、本当の意味でその土台となることってまずないと思う。おそらく仮にできたとしても、例えばスピーキングに関して言えば、頭に一度文字として思い浮かべたものを読み上げるっていうような、およそ使い物にならない、ある意味やっかいな能力が残るだけになってしまうはずだ。

  意味表象の主体としての「音」の重要性を「文字」との対比で十全に理解して、その上で、「何を学ぶか」っていう点で、「音を学ぶ」ていうことを意識的に選択できるようになると、今のこのあまりに中途半端な授業もだいぶ改善されるんじゃないかって思うし、学生の側も、英語を運用する時のマインドセットだとかその扱い方が、より「即興的」で自然に近いものとなるんじゃないかと思う。

 

7カ国語をモノにした人の勉強法 (祥伝社新書331)

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