マインクラフトで英語!

聞いてしゃべれて読めて書ける、最もシンプルな方法と本質論。

B.Q.R. J-101 『7カ国語をモノにした人の勉強法』

たいへん残念なことですが、日本の語学教育は中等教育(あるいは初等教育)から始まって大学に至るまで、語学のできない人たちが語学のできない人たちを再生産するシステムになっているのです。(『7ヵ国語をモノにした人の勉強法』橋本陽介 著ーp.7)

 

  「語学ができない人」って一体どういう人のことか? 

  例えば灘校の英語教師、通称キムタツこと木村達哉によれば、

おそらく日本中のほとんど全ての生徒たちが英文を読む際に構造分析を行い、それを「読むこと」だと勘違いしています(キムタツ式 灘校生が実践しているTOEIC900点を当たり前のように取るためのパワフルメソッド 今度こそ失敗しない「使える英語」学習法ーp.157)

っていうことらしいんだけど、この言葉を借りて上記引用を言い換えれば、「日本の語学教育は、英文を読む際に構造分析を行いそれを読むことだと勘違いしている人たちが、そういう勘違いする人たちを再生産するシステムになっているのです」っていう感じになる。

  「語学ができない人」ってどんな人かっていうのは他にもいろいろ言うことができる。例えば "「英会話は出来ない」し「読んでもわからない」、ただ「訳すことは(どうにか)できる」程度の英語力" の人(ローマ字で読むな! (フォレスト2545新書)ーp.38)だとか、"コミュニケーションをはかるための「道具」として知恵を絞って英語を使おうとはせず、「知識」として詰め込んでいる" 人(セイン・カミュのなぜ英語が苦手なの?ーp.212)だとか、"英単語を聴くと、すぐに日本語を思い浮かべるということが癖になっている" 人(英語は逆から学べ!~最新の脳科学でわかった!世界一簡単な外国語勉強法~特殊音源CD付き(全外国語対応)ーp.146)だとか...... 。

  あるいは個人的には、「しゃべれない読めない書けない以前に、リスニングができない人」って間違いないく「語学ができない人」だと思うんだけど、ともあれ、こういう「語学ができない人」を拡大再生産し続けていることの背景に、実は日本の語学教育が、いまだになかなか抜け出せないでいるある暗黙の了解事項が横たわっているように思う。それって何かっていうと、「意味表象の主体を、音ではなく、文字に置いている」っていうある種の暗黙の前提だ。

  「文法や翻訳に重点を置いたいわゆる変則英語」対「聞く、話すといったコミュニケーションに重点を置いたいわゆる正則英語」っていう図式は、もう明治時代から続く由緒ある(?)対立軸なわけだけど、この対立軸って、最近の語学学習コンテンツの質的量的変化に伴って、ある意味おんなじ範疇に置かれてひとくくりになっちゃってるように僕には見える。

  つまり、「変則英語」はもちろんなんだけど、「音」に重点を置いているはずの「正則英語」の方も、実際の所実質的には「文字」をその意味表象の主体にしちゃってて、その点から見るとこの2つって実は大した違いがないように思えるのだ。

  「音」に重点を置いているはずの「正則英語」が、実質的には「文字」をその意味表象の主体にしてるっていうのは以前にも書いたことがあるから、詳しくはそちらに譲るとして、まあこれはしょうがないと言えばしょうがないことなのかもしれない。っていうのも、例えばYouTubeやらポッド・キャストやら各種音声動画共有サービスが登場したのは2005年で、実際その音声動画データが、質量ともに使えるレベルにまで充実してきたのはほんのここ数年のことで、おそらくごく最近までは「音」を意味表象の主体とした英語学習って、ごく特殊な環境を除けば実はほぼ不可能だったと思うのだ。

  加速度的なテクノロジーの変化によって、「音」をその意味表象の主体として学べる環境が整った今の状況が、ある意味英語教育の対立軸を、本来の意味での変則英語正則英語に戻しつつある。この古くて新しい対立軸から見ると、これから先「語学ができない人」ってどういう人のことを言うようになるかっていうと、おそらく、「文字を意味表象の主体としている人」っていうことになっていくかもしれない。

 

7カ国語をモノにした人の勉強法 (祥伝社新書331)

7カ国語をモノにした人の勉強法 (祥伝社新書331)