マインクラフトで英語!

聞いてしゃべれて読めて書ける、最もシンプルな方法と本質論。

B.Q.R. J-100 『7カ国語をモノにした人の勉強法』

外国語で話すということは、こういう感覚なのだということが、このときにつかめたのでした。すると、それまでの英語から始まった自分の語学学習の方法が、まったくダメなものだったということがわかりました。(『7カ国語をモノにした人の勉強法』橋本陽介 著ーp.6)

 

  ただ頭でこねくり回しただけのペラッペラの理屈っていうのはすぐにその正体ってバレちゃうものなわけだけど、同様に自身の体験に裏打ちされた経験的な言葉っていうのもこれまたすぐにわかってしまう。

  わかってしまうその時に、そこに生じているのはある種の共体験みたいなもので、一度それが生じてしまうとハイ・ネットの高感度地震観測計よろしくその一字一句にいちいち反応して「そうそう、そうなんだよな~」って感じにうなずきながら目を細めずにはいられない。

  例えば以前僕は、過去記事でこんなことを書いていた。

「訳読式」ではない方法で英語をしゃべれるようになる(あるいは少なくともしゃべり始める)っていう経験を実感すると、それまでどっぷりとつかってた、旧態依然とした英語指導が明確に相対化されて、そして「ある認識」のもと、批判的にその英語教育を眺めることができるようになって、その上でその英語教育を、大きく改善する動機とその可能性をみいだすことができるようになると思うのだ。

 

espinmc.hatenablog.com

 

 

  1日100本吸っていたヘビースモーカーだった頃、煙草を吸わない人の気持ちって、頭では分かったつもりになっていたけど実は全然わかってなくて、煙草をやめて初めてその気持ちがよく分かったことがある。つまり、煙いし、臭いし、その無神経さにうんざりすることが多いのだ。

  それとおんなじで、一度そこから出てしまわないとわからない類のものっていうのがこの英語教育にも存在する。

  かつて僕が英語を教えていた塾のあるベテラン講師が「授業は、毎年作ったものをいったんすべて壊して、また1から作り直してみる必要がある」みたいなことを口にしていたのを覚えてるんだけど、当時僕はその講師の言っていたことを、「教材を1から作り直す」とか「授業体系を見直す」とか、その程度のことくらいにしか考えていなかった。

  でもそれは、今思えばもっと次元の違うこと、例えば煙草をやめてみるような、つまり「自分が属している体系そのものから離脱してみること」そういう感じのことだったんだろうと今あらためて思う。

  一体そのベテラン講師はどうやってそれを「壊していた」のか、どんなふうに「1から作り直していたのか」具体的な話は聞いたことがない(っていうか聞いてもたぶんわからない)んだけど、少なくとも受験英語講師としての僕の場合は「講師を辞める」っていうことがたまたまその「壊すこと」を可能にした。

  伝統的な訳読式英語教育にどっぷりと浸かっていた僕には、その仕事を続けながら「壊す」っていうことに至るのはほぼ不可能だったろうと思う。そして実際そこに至ることができたのは、本当に「たまたま」だったし、運が良かったとしか言いようがない。

  この偶然を利用して、すべてをイチから、って言うかゼロから作り直してみれば、ひょっとするとある必然性を引き当てることになるかもしれない、なんていうまあ相当に楽観的な見方をこの著書を読んだ時さらに強くしたわけなんだけど、ともあれ、しばらくの間、B.Q.R. J-89 『国際共通語としての英語』 - マインクラフトで英語!以降見てきた英語教育の保守派とは対極にいるこの著者の引用をしながら色々書いていってみることにしようと思っている。

  ところで、引用した上記の一節。何か引っかかるものがあるっていう向きには、この本かなりお勧めです。

 

7カ国語をモノにした人の勉強法 (祥伝社新書331)

7カ国語をモノにした人の勉強法 (祥伝社新書331)