マインクラフトで英語!

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B.Q.R. J-99 『最強英語脳を作る 』

いま、高校の授業では、授業中の口頭説明も英語でするようにと言うことになっているようですが、僕は、それはナンセンスだと思っています。要するに、英語と言う言語の特徴として、ボクシングのスパーリングで言うと、純粋にスパークリングをしている時間がすごく大事で、その時のスパークリングの相手は最高レベルのものでないと意味がないということです。(『最強英語脳を作る』茂木健一郎 著ーp.18)

 

  学校英語の授業風景って今YouTubeで色々見ることができて、見るたびにいつも「いや~、今の英語教師って大変だなあ」ってつくづく思うんだけど、とりわけ「頑張ってなんとか英語で授業してます!」って感じの教師の授業は、見てて思わずため息ついて顔を覆いたくなってしまう。いったい今の学生って、そんな感じの頑張ってる教師のことをどんなふうに見てるんだろうか?

  想像するに、おそらく「あんなふうにはなりたくない」っていうのが正直なところだろうし、ひょっとすると中には同情の目で見てる学生なんてのもいるかもしれないんだけど(純粋に能力っていう意味では他教科でこういうことってまずない)おそらくその最たる理由は、やっぱり「発音」を始めとする「音」一般ってことになると思う。

  教師でないんだったら別にいいと思う。いわゆる基本的なIPAさえ押さえておけば、多少日本語なまりがあってもちゃんと通じるし、よほどひどいカタカナ英語でなければ相手もなんとかがんばって聞き取ってくれる。

  でも教師っていうことになれば話は違ってくる。

  教師っていうのは、その能力においてはある一定の模範、つまり模するべき型だ。そしてその「型」は、学生に対してそれを超えたいと思わせるほどの高みを持っていなければ、あえてそれを真似して学ぼうなんて思わない。

  つまり、口頭説明程度の英語であっても、よほどその「音」がネイティブ・スピーカーに近いものでなければ、それって言ってみれば数学の問題が解けない数学教師(しかも、いつも解くことができない数学教師!)くらいに見られてても不思議じゃあない。

  だから、英語の「発音」「アクセント」「抑揚」「リズム」なんかの「音」全般に自信がない教師は(あるいはまれに変に開き直っちゃってる教師もいるけどそれも含めて)ボクシングでいう所の「インターバル」間の口頭説明は、英語じゃなくて日本語で行ったほうがいいと思う。その方が余計なマイナスイメージを学生に与えなくて済むし、むしろ説明が簡潔になってすぐ伝わる分、学生のスパーリングに充てる時間を増やすことだってできる。

  ただ、この口頭説明を日本語で行うには1つだけ条件がある。それは何かって言うと、「あえて英語じゃなくて日本語で説明してる」感が学生に伝わらないとダメってことだ。つまり、「英語でも説明しようと思えばできるけど、ここは日本語でいいでしょ」って感じが学生との間で共有されてなければならない。

  学生にそう思わせるのは簡単で、例えば授業前なんかにわざと早く教室に入って、ALTとゲラゲラ笑いながら英語で談笑でもしてればいいのだ。

  やり方は何でもいい。ようは見せ方だ。実際の所、ほんの一瞬の言葉のやり取りでも「どうやったらあんなふうにしゃべれるようになるんだろう」って思わせることだってできる。

  ネイティブ並みの「音」を習得してる教師は別として、それ以外の教師は、そういう「言語運用能力」的な所で「模範」としての姿を見せるように努めればそれでいいと思う。

 

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