マインクラフトで英語!

聞いてしゃべれて読めて書ける最もシンプルな方法と本質的な理論がここに

B.Q.R. J-96 『英語の害毒 』

(2)機械翻訳の進歩によって、実用目的の外国語学習の重要性がだんだん低下すること。(中略)そして(2)から導かれるのは、これからは話せるようになることにこだわる必要はなくなるということだ。(『英語の害毒』永井忠孝 著ーp.178)

 

  前回前々回の記事では、英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)って、かなり「痛~い」書籍だっていうようなことを書いたんだけど、それでもB.Q.R. J-89 『国際共通語としての英語』 - マインクラフトで英語!以降見てきた一連の保守的な英語教育論者の書籍の中では相当ましな部類だった気がする。少なくとも、ある前提=「もし英語が優位言語になるなら」ってことを念頭に置いて読めば、まあ何とか言わんとすることはわからなくはなかった。

  一方他の書籍はっていうと、仮に上記のような前提を念頭に置いて読んだとしても、正直読むに堪えないものが多かったように思う。つまり、ダブルスタンダードな書き方で、いまいち言ってることが要領を得なかったり、英語教育と国語教育の話を混同してたり、統計的な数字の解釈があまりに強引だったり、とにかく意見として反対の立場であったとしても「まあ言わんとすることはわからなくはない」っていうレベルに到達してないものが多かったのだ。

  例えばこの引用した「機械翻訳」の話なんか典型的な例だ。つまり、Google翻訳みたいなwebサイトだとか翻訳ソフトがこのまま進化を続けたとして、はたしてこの著者の言うように「会話中心の実用的英語教育」が必要なくなるなんてことになるだろうか?

  読み重視の伝統的訳読式英語教育が、この先実用目的っていう意味ではその役目を終えることは言うまでもないとして、確かに会話も、スクリーンを用いた音声認識字幕翻訳を介せばとりあえず用を足すことはできるから、一見著者の言うことはもっともと思えるかもしれない。

  でも会話って、たとえどれほど翻訳の技術が進歩したとしても、翻訳を介さない直のコミュニケーションには勝てないっていう側面がある。だからその意味で実は「機械翻訳」の進歩って、全般的な読み重視の訳読式英語教育の必要性を下げることになるのとは反対に、っていうかそれに応じて、「会話中心の実用的英語教育」のステータスをむしろ押し上げる結果となるはずなのだ......。

 

  まあなんて言うか、こんなレベルなのだ。つまり、はっきり言って伝統的訳読式英語教育を推す保守的な教育論者の著述って、引用したようななんか結論ありきの苦しいものが多いのだ。

  なんでなんだろうか。いろいろ想像することはできるし、既にいくつかその理由と思われるものは書いたけど、正直よくわからないところがある(あるいは大学の教授にでもなったら何かわかるんだろうか?)。

  ともあれ、もちろん大学の教授って言っても、こういう保守派の教育論者ばかりじゃあないから、次回以降はこれとは反対の位置に立つ教授の書籍も取り上げてみることにしよう。

 

英語の害毒 (新潮新書)

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