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B.Q.R. J-95 『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる 』

その際、提出された授業の英語化の数値目標が衝撃的なのだ。一流とされる大学は、今後、10年のうちに五割以上の授業を日本語ではなく、英語で行うようにすべきだと言うのである。(『英語化は愚民化』施光恒 著 ーp.22)

 

  これは、第4回産業競争力会議で提出された数値目標で、この会議が開かれたのは2013年だから、要するに2023年までにはっていう目標ってことになるんだけど、確かに、半分以上の授業を英語でって聞くと、ちょっとそれはいくら何でもやりすぎなんじゃないかって一瞬思わなくはない。

  でも、例えば国際なんちゃら関係の学部だとか、経済、経営、商学部なんかの授業なんてのを思い浮かべると、その研究対象がボーダレスに流動化してる今の時代、5割なんて数値目標って低いって言ってもいいくらいだろう。

  一方、例えば文学部の授業を5割以上英語で行うっていうのは、英米文学の専門分野を除けばあまり意味がないように思う。っていうのも、授業の英語化の背景には、留学生の取り込みっていうのも1つあるわけだけど、文学部のような学部・学科に関しては、日本語による充実した研究授業の方がむしろ留学生にとっては魅力になるはずだからだ。

  だから「10年のうちに5割以上」っていう数値目標って、実は著者が言うような "衝撃的" っていうほどの数値ではないっていう気がする。つまり、学部再編的にグローバル化によって研究対象のある種シームレスな改変を余儀なくされている分野では、5割どころか6割、7割と英語による授業科目を増やさざるを得ない一方で、日本語による充実した研究がむしろ望ましい分野では(これは別に文系に限らないんだけど)ほぼ全て日本語によって授業を行うことになるってことを考えれば、トータルで見るとこの数値目標って(実際にはもうちょっと低くなるとしても)それほど驚くべきものではない。

  まあ端的に言えば、この著者の英語化推進批判って、上記の引用も含めてなんか「もし英語が優位言語になったら」っていう感じのニュアンスを前提として展開されているのだ。

  確かに、英語が優位言語になったら、著者の言うように "日本の学生の専門知識のレベルや学術研究のレベルが低下し、企業の業績も落ちる(同ーp.234)" なんてことになるかもしれない。

  あるいは、"役所の手続きをしたり、裁判を受けたりする場合、(略)英語などの宗主国がもたらした言語を使わざるを得ない(同ーp.35)" なんてことにもなるかもしれない。

  "高度なビジネスや学問、芸術などについて話す際に英語を用いることが普通となってしまい(略)日本語はしだいに衰退(同ーp.35)" し、そうして "宗教改革以前の社会のように「普遍語」(現在は英語)を話す特権階級と、各地の「現地語」を話す一般の人々との間の知的格差が復活し拡大する(同ーp.65)" ってことになって、"日本の良さや強みを破壊し、日本の分厚い中間層を愚民化してしまう(同ーp.20)" なんてことなっちゃうかもしれない。

  挙げ始めたらきりがないんだけど、とにかくもし万が一英語が優位言語になったとしたら、確かにそうかもしれない。

  でも、この本の中で述べられている英語化推進による日本への悪影響って、今現在のように日本語が優位言語として確保されている限りにおいてはそこまで憂慮するほどのものじゃあないと思う。そして、もし仮にこの著者が言うようなもろもろの事態が起こるとしても、それは英語化推進の結果っていうより、むしろ「国語教育」の方にその原因が見いだされる可能性の方が大きい。

  以前の記事でも書いたんだけど、英語が優位言語になるには、いわゆる臨界期前から臨界期後まで、毎日6時間以上英語による刺激を与え続ける必要があるらしい。あえて言えば、例えば臨界期をまたいで、そういう6時間以上に渡るスパルタ英語教育を国策でもってやり始めたら、その時初めてこの著者の言うことは、ちょっとは現実味を帯びてくるかもしれない。

 

英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)

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