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B.Q.R. J-93 『「英語が使える日本人」は育つのか?』

逆に、主要先進国と言われる国の言語状況を考えてみると、それぞれ単一の強力な言語を有していることがわかります。モノリンガル(単一言語)の安定した母語能力を有するからこそ、政治・経済・文化において繊細な議論ができるのです。(『「英語が使える日本人」は育つのか?』山田雄一郎・大津由紀夫・斎藤兆史 著 ーp.56)

 

  前回の記事でも触れたんだけど、伝統的な訳読式英語教育を推す保守的な教育論者には、引用したような単一言語信仰みたいなものがあって、強力な母語=日本語の存在が今の日本の発展を支える一翼を担ってるって考える向きが多い。だから、英語の普及は日本語の安定を脅かし、それがひいては日本の国力の低下をも招くっていうふうに考えている。

  僕はこの辺についてははっきり言ってよくわからないんだけど、母語ってそんなに簡単に第2言語の影響を受けるものなんだろうか。つまり、例えば英語しか使わない環境に置かれるっていうんならともかく、単に英語を身につけちゃうってだけで、母語の言語力って低下もしくは停滞しちゃったりするんだろうか?

  個人的に思うのは、いわゆる臨界期を越える9歳頃、母語がほぼ確定した後っていうことであれば、そこから先の母語の言語力に関しては、英語云々の話じゃなくて国語の問題になるんだと思う。

  仮に日本語の能力に影響を及ぼすとしても、それはこの臨界期を超える頃に、英語が優位言語=母語として選択されてしまった場合だろう(ちなみに、インターナショナルスクールを運営する坪谷郁子曰く、英語が優位言語=母語になるには、毎日6時間以上英語による刺激を脳に与え続ける必要があるらしい。参照『絶対、わが子は「英語のできる子」に!』ーp.165)。

  だから、例えば小学校の授業を全て英語で行うとかっていうんでもなければ、英語教育が母語の発達を阻害して、国家レベルにまで影響を及ぼすなんて感じの懸念って、まあ杞憂に過ぎないと言っていいと思う。

  ところで、こういう懸念の背景には、例えば永井忠孝著『英語の害毒 (新潮新書)』に見られるような、ちょっとした先入観みたいなものがあるように思える。曰く、"よく、英語とグローバル化が関連付けて論じられる。しかし、本当は、今の英語教育の行く先にあるのは、フィリピン化ではないだろうか。ーp.12"

  これは勝手な推測に過ぎないんだけど、英語教育に関して保守的な立場をとる人たちには、英語を公用語(もしくは準公用語)として採用している例えばフィリピンやマレーシアやインドなんかの後進国が念頭にあって、英語教育の強化促進が、日本を先進国の座から引きずり下ろす感じのイメージをなんとなく抱いちゃってるっていう気がする。

  もちろんフィリピンやマレーシアやインドは、英語を公用語化したから後進国となったわけではない。それは、大航海時代から続く搾取と抑圧によってもたらされたものであって、英語の公用語化っていうのはその結果に過ぎない。

  さらに、母語としての国語力に何か問題があるとすれば、おそらくそれも英語の公用語化によるものではない。それはなんていうか、教育体制や教育環境っていうようなもっと根本的なところにその原因があるんだと思う(例えばASEAN主要国の教育事情 - 市場調査とマーケティングの矢野経済研究所によれば、フィリピンでは約30%の児童が小学校をドロップアウト、あるいは通学すらしたことがないらしい)。

  英語教育の保守派によく見られる、「英語教育が母語の安定に影響し、国家レベルでの損失を招く」式の論理は、いまいち説得力に欠けてみえるものが多い。

 

「英語が使える日本人」は育つのか?―小学校英語から大学英語までを検証する (岩波ブックレット)

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