マインクラフトで英語!

How do we get to speak English? The simple answer is here.

B.Q.R. J-91 『国際共通語としての英語』

まずは、英語を話す、書くという能動的な発信力です。ところがそれは、受動能力としての読む力があってはじめて培われるものなのです。 (『国際共通語としての英語』鳥飼玖美子 著ーp.41)

 

  なんとなくなんだけど、この人って、外国語の習得で必要な「読む力」っていうのを母語レベルでの話と同列で扱ってるような気がする。

  確かに、外国語の読解力がある程度ついてきた後ということであれば、リーディングが "能動的な発信力" に資することになるっていうのはわからなくはない(実際、外国語習得のキーポイントとしてリーディングの重要性を説く人は多い)。

  でも、じゃあ一体、その "話す、書く" に資することになる「読む力」っていうのはそもそもどうやって培われるんだろうか?

  個人的には、こういう部分を掘り下げないまま曖昧にしてると、この「読む力」っていうのを結局の所「翻訳力」と勘違いしちゃって、例の日本語訳を暗記する英単語学習と、その置き換えのための文法学習みたいなことになっちゃうんじゃないかって思う(そしてそういう意味での「読解力=翻訳力」の行き着く先がどこなのかっていうのは、これまでの日本の英語教育がもう十分実証済みだ)。 

  外国語を読む力を培うために必要なものって何かって言うと、それは文法力でも翻訳力でもないし、まして読解の前提となる基礎的な素養だとか読書量だとかそんなものでもない。そういうのはもっと後の話であって、ある意味結果論に過ぎない。

  外国語を読む力を培うために必要なのは、端的に言えば、文字そのものを再音声化し、それを意味として受け取る力これにつきる(もちろんここで言う「意味」は訳語としての "意味" じゃあない)。

  そしてさらに言えば、文字そのものを再音声化しそれを意味として受け取るために必要なものって何かって言うと、それは再音声化のための「音=意味」のストック=リスニングと、それをアウトプットする訓練=スピーキングに他ならない。

  つまり、「文字」を読むことじゃあなくて、「音」を聞いて話すことこそが、様々な語学技能を培う土台になるのだ。

  たぶんこの著者ならそれに対してこう言うと思う。「そんなことはとっくの昔に分かってて、だからいま学校ではリスニングとスピーキングを中心とした授業が行われている。にもかかわらず現状なんら成果が上がっていない。それどころか、英語力は年々低下している。こっちの方が問題だ」と。

  過去記事でも取り上げたんだけど、大分県教育庁チャンネル - YouTubeってところで最近の学校英語の授業風景をのぞくことができる。はたして著者は、この動画を観てどういう感想を持つんだろうか?

  詳しくは過去記事に譲るとして、別に著者のような学者じゃなくても、この動画で展開されてる授業は、リスニングとスピーキングを中心とした授業とはおよそ言えないってことに気づくんじゃあるまいか。つまり、一見そうは見えなくても、本質的には学校英語の実態は20年前と何ら変わっていないと。

  著者曰く、こうらしい。"政府の審議会でも、経済界の偉い人たちが『学校英語はだめですなあ』『読み書きばっかりやって、会話が出来なければしょうがない』とおっしゃる。私が『この十年二十年、様変わりしました。いまは会話中心になっていることが問題で、読み書きは出来るというのは昔話です』と言うと、不愉快そうな顔をされてしまいます。(同 ーp.170)" 

  まあ、はっきり言ってこの記述を見る限り、著者は事の本質を見れてないと言わざるを得ない。

 

国際共通語としての英語 (講談社現代新書)

国際共通語としての英語 (講談社現代新書)