マインクラフトで英語!

聞いてしゃべれて読めて書ける最もシンプルな方法と本質的な理論がここに

B.Q.R. J-90 『英語の害毒』

小学校からがんばって、望み通り英語の会話言語能力をもつようになったら、どうなるだろうか。実は、そうなったときにアメリカが得するように、日本の社会制度はすでに変えられていっているのだ。(『英語の害毒』永井忠孝 著 ーp.143)

極端なことを言えば、現在の方針に沿って日本人の多くが英語の会話言語能力を身に付けると、経営者も弁護士も医者も、社会のエリートはみんな英語を話す外国人で、日本人はみんな奴隷、という社会になることも考えられるのだ。(同 ーp.162)

 

  前回の記事の続きなんだけど、既に挙げた一部の大学教授をはじめとする保守的な英語教育論者たちは、みんなそろって「伝統的訳読式英語学習」を推していて、特に英語4技能のうち「読み」を重視する傾向がある。

  日本人の大半が、この「伝統的訳読式英語学習」では、英語を聞けてしゃべれるようにはならない(したがって実質的には読めるようにも書けるようにもならない...... )つまり「英語は身につかなかった」っていう実情をみると、それでもなおこの学習法を推奨するのには、例えば上記のような「憂国論的動機」がその契機になってるんじゃないかっていう気がする。つまり「英語が身についちゃうとお国のためにならないから、あんまり身につかない方法で学習しましょう」と。

  僕自身の考えを言うと、英語化が進むにつれて日本の伝統・文化・言語が危機にさらされる可能性があることを憂慮する気持ちはよくわかるんだけど、でもだからと言って「あんまり身につかない方法で学習しましょう」ってそりゃあない。それって結局の所「どうせ身につかないなら勉強したって無駄だ」っていう学習者の無気力を誘うことになるし(実際、受験英語的学習法を捨てた時の僕がある意味そうだった)それにここ10年程で加速度的に進んできた学習環境の劇的な変化からすると、その「やっても無駄」的度合いはこの先さらに色濃くなっていくに違いないのだ。

  っていうか、そもそもこういう形のいわば「消極的英語教育」って、今の時代全く意味がない。っていうのも、とりわけネットを中心とする学習環境の質的量的な変化のおかげで、今や誰しも、容易に(ってかつてに比べればはるかに容易に)4技能がしっかり身につく語学学習を好き勝手に行えちゃうからだ。

  つまり、制限したって意味ないのだ。それどころか、無駄な負担を増すだけなのだ。

  だから、もし本当に日本の将来のことを考えるんだったら、既に今あるそういう学習環境と、放っておいても英語をどんどん身につけちゃうっていうこの先の見通しのことを念頭に置いて、その上でじゃあどうするかってことを考えるべきだろう。

  この保守的な英語教育論を好む著者たちって、訳読式学習法で英語を学んだ明治のエリートを必ずと言っていいほど引き合いに出すんだけど、どうせだったらもっと彼らの真似事じゃなく、彼らのように真剣に、日本の将来のことを考えてみるべきなんじゃないだろうか。もっとも、僕自身はそこまで日本の将来を悲観しているわけじゃないんだけど。

 

英語の害毒 (新潮新書)

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