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B.Q.R. J-89 『国際共通語としての英語』

植民地では宗主国の言語を強制されましたが、現代は植民地ではないのに、無自覚のまま、英語に支配されることになる。英語支配に対する批判的精神を忘れてしまうことは、自らの言語や文化の将来を危うくすることになるわけです。(『国際共通語としての英語』鳥飼玖美子著 ーp.80)

  

  このブログを始めた最初のころに『英語下手のすすめ―英語信仰はもう捨てよう (ワニのNEW新書)』っていう新書を読んで、既にこういう保守的な英語教育論を展開する人がちらほらいるっていうことは知ってて、しかもそのほとんどが大学教授だってことは前にも何度か書いた。

   例えばこの『英語下手のすすめ』の著者津田幸男と、引用した本の鳥飼玖美子の他に、『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)』の施光恒だとか、『英語の害毒 (新潮新書)』の永井忠孝、『「英語が使える日本人」は育つのか?―小学校英語から大学英語までを検証する (岩波ブックレット)』の山田雄一郎、大津由紀雄、斎藤兆史、『英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし (一般書)』の渡部昇一等々と、僕が読んだものだと全員が大学教授だ。

  これらの著書には、ある共通するキーワードが必ずと言っていいほど登場する。何かって言うと、「植民地」「帝国主義」そして「明治」の3つだ。他の英語のハウツー本ではこういうキーワード(特に前者2つ)にお目にかかることってまずない。

  この保守的な論調って(たぶんあんまり偏狭なナショナリストみたいに見られたくないからなのか)けっこう控えめに、色々譲歩しつつ、それゆえ時に論旨不明になったりもしながら展開するわけなんだけど(って論旨がやや不明だったのは鳥飼玖美子の著書関係だったんだけど...... )これらの著者たちが言わんとしてることって畢竟こういうことになる。

  英語が日本を破壊する。だから英語は身につけなくていい。

  たぶんこれらの著者たちからすれば「英語は身につけなくていいなんて言ってない」ってことなるかもしれないんだけど、でもこういう保守的な英語教育論って、結局の所「英語化推進によるある種の帝国主義的植民地化を食い止めねば!」ってところにその要諦があるんだから、もし本気でそれを食い止めようと思うんだったら、これって突き詰めれば「英語は身につけなくていい」っていうか「英語は身につけてはいけない」ってことになるだろう。

  実はこれらの著書にはもう1つある共通点がある。それが「文法重視の訳読式英語教育を重視している」っていうもので、だからこれらの著書を読むと、決まって英語4技能のうち「読み」が最重要項目となっている。

  英語支配のある種帝国主義的植民地化を憂慮する「憂国論的動機」を鑑みれば、この著者たちがそろって「伝統的訳読式英語学習」を推す理由も自ずと明らかになるように思う。つまり、一言で言えば、「英語が身についちゃうとお国のためにならないから、あんまり身につかない方法で学習しましょう」ってことなのだ。(B.Q.R. J-90へ続く)

 

国際共通語としての英語 (講談社現代新書)

国際共通語としての英語 (講談社現代新書)