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A.Q.R. J-9 『群鶏図』他

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古家野雄紀『群鶏図』M30号一部

  愛知県生まれ。東京藝術大学大学院修士課程デザイン科描画・装飾研究室在籍。2014年第6回トリエンナーレ豊橋入選。2015年アートオリンピア入賞。第29回三菱商事アート・ゲート・プログラム入選。新生絵画賞展入選 。

  

  僕は別に絵の専門家じゃないし、絵を描いてるわけじゃないし、絵を観てきた量は少なくないとはいえ、ある一定の判断ができるほどの量を観てきたわけでもない。にもかかわらず(と言うかだからこそと言うか)例えばある絵が「いい絵かどうか」なんていう超高々級な価値判断を行うのも、ほとんど開き直って半ば傲慢に「いい仕事してますねぇ」なんて中島誠之助よろしくうなりながらなんら躊躇なくやってのけることができてしまう。これは間違いないく僕の特技だろう。

  絵を観る時僕は、「いい絵かどうか」っていうこの価値判断の他に、「好きな絵かどうか」「欲しいと思うか」っていうのも合わせて全部で3つの「ものさし」で観る癖があるんだけど、今の所この価値審級がそろって満点を獲得したことは一度もない。

  これはちょっと不思議な気もしてて、例えば「いい絵だとは思うんだけど好きな絵ではない」とか、「好きな絵なんだけど、欲しくはない」とか、「いい絵だし好きな絵なんだけど、欲しいとは思わない」とか、自分で設定した「ものさし」のはずなのに、その心理的なプロセスっていうか論理っていうか、それが自分でもいまいちよくわかっていない。

  で、その謎に拍車をかけてくれたのがこの古家野雄紀の絵だった。というのもこの人の絵は、「いい絵だし、欲しいと思うんだけど、好きな絵」ではなかったのだ......。

  「いったいどうなってるんだ?」と思いながらも、まあ「自分自身を知る」っていうのは、ギリシアの哲学者だって「難しい」って言ってるんだからと言い訳して、何はともあれ、まずはそのいい絵を観た余韻に浸るべし、とうなずいて、昼過ぎにはもう開いてる飲み屋にそそくさと足を運んでその酔いんに浸ることにした。