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マインクラフトで英語!

How do we get to speak English? The simple answer is here.

B.Q.R. J-83 『ローマ字で読むな!』

従って、私たちは無意識のうちに学校で「英語」を勉強してるつもりになっていましたが、実は英語自体を身に付ける授業は行われておらず、英語を日本語に訳すための翻訳の技術とその練習実践をさせられてきたのです。 (中略)私たちは、英語の「読力」と「文法知識」と「語彙」をもって、日本語に訳し、英文を和文として理解する、日本語の「読解力」を使って英文だった文章を理解しているわけです。(『ローマ字で読むな!』船津洋 著ーp.35)

 

  中学生の頃、英語の勉強ってどんなふうにしてたかってちょっと思い出してみると、僕個人はそれほど「翻訳」的な練習をしてた覚えがなくて、ただひたすら教科書の英文を暗唱しながら丸暗記してたっていう記憶がある。っていうのも定期テストで出される問題って、教科書の英文そのままで、その空所をただ埋めていけばいいみたいなものだったからなんだけど、たしか授業自体も訳読式の授業を受けた記憶ってあんまりなくて、なんか動詞の活用やら発音記号やら教科書の本文やらをひたすら声に出して読んでみるって感じの授業だった。

   高校生の頃はそもそも勉強した記憶がない(!?)んだけど、どんな感じの授業だったかってのはよく覚えてて、これは中学の時とは逆に、声に出して英文を読むなんてことはほとんどなくて、まあいわばこてこての訳読式授業だった。読解やら文法やらその形態はいろいろあったとはいえ、はっきり言って実質的には和訳しかしてなかったって言っても過言じゃないと思う。

  まあこういう授業は僕みたいな高校生にはかえって好都合で、教材のアンチョコ=和訳を入手しさえすれば、授業もテストもパス出来て、楽と言えば楽だった(おかげで受験では大きなしっぺ返しを食らったけど)。

  で、それ以来かれこれ20年。もちろん学習指導要領も改訂されて英語の授業も僕の時とはだいぶ様変わりしてるとは思うんだけど、実際の所どうなんだろうかって思ってちょっとYouTubeを検索してみたら、あった。しかも結構色々アップされている。

  たとえば大分県教育庁チャンネル - YouTubeなんだけど、ここで公立の中学・高校の英語の授業を視聴することができた。いやあ、動画見ながら「いま中学高校で英語教師として働いてる人たちって大変だなあ」ってつくづく思って、その授業の準備にかける時間や労力のことを思うと安易にああだこうだとは言えないよなって思ったんだけど、まあだから細かいことはとりあえず全部わきに置いておいて、あえて一言だけ思ったことをざっくり言ってしまうと、はっきり言って20年前と比べて、その本質はさほど変わってない。それは何を見てそう思ったかっていうと、中高生たちの発音だ。もう完全にローマ字読みなのだ。

  よく英語のハウツー本の類の書籍で「日本人は日本人英語でかまわないのだ」的な記述を見かけることがあるんだけど、僕もそれには同感っていうか、むしろどんなに発音等を強制しても日本語なまりを完全に取り除くことはほぼ不可能だと思ってて、だからそういう日本語なまりはあまり気にする必要はない、とりあえず通じればそれでよしとすべきと思ってるんだけど、この大分県教育庁チャンネル - YouTubeに登場する中高生たちは、その日本語のなまりの英語っていうレベルにはおよそ到達できていない。

  で、それが意味していることって何かっていうと(これは前回の記事でいろいろ書いたんだけど)英語での意味の授受が「音」じゃなくて「文字」で行われているっていうことに他ならない。この大分県教育庁チャンネル - YouTubeの動画からすると、たとえ一見そうは見えないとしても、ここに登場してる中高生のほとんどは、意味の授受を「文字」によって遂行してるんだろうと思う。だからおそらくここで授受されている意味の大半は(まあ全部とは言わないけどその大半は)「文字」にくっついてる「日本語訳」としての意味に違いない。

  つまり、おそらく現行の中学高校の英語の授業って、そのほとんどが、どんなにその授業の形態・目的・方法等が変化しているとしても、その本質は実は20年前と比べてなんら変わってないようにみえる。つまりその実態は、文字主体の翻訳的英語教育なのだ。はっきり言ってこれだったら、まだ訳読式授業のほうがましかもしれない。

  ただ、YouTubeには、国内外を問わずいろんな授業の動画が他にもいろいろアップされてて、中には「これは悪くない」って思える動画がいくつかあった。そのうちの一つがこれなんだけど......

 

www.youtube.com

  この授業を受けている小学生たちの発音は、ローマ字読みじゃなくてかなり一般的な英語に近い発音だ。これは(単にまだ年齢が低いっていうだけでなく)小学生たちが対話してる相手が日本人教師じゃなくて(まして隣の同じ小学生でもなく)主にこのALT=ネイティブ・スピーカーだからだろう。そして、こういう発音ができるっていうことは何を意味してるかっていうと、頭の中に蓄積されてる英語がそういう発音の英語だっていうことだ。そして、それが意味していることは何かっていうと、一般的な英語を聞いたとき、その頭に蓄積されている英語と一致させることができる=リスニングができる(あるいはできるようになる)っていうことだ。そして、リスニングができるようになると、しゃべることも出来るようになる。そしてそうやっていくうちにこの小学生たちは、意味の授受を「音」によって行うことができるようになる。

  大分県教育庁チャンネル - YouTubeで見た授業と違って、この授業で小学生たちは、なんていうか、心の動きに促される形である種自発的に英語を繰り出すことができるようになる可能性を得ているように思える。それは、小学生たちがいろんな感情を、なんか「思わず」っていう感じで「音」に乗せて伝達し交換しようとしているからだ。この点も、用意したものを単に読み上げたり、教師の英語に続けてただリピートするだけの授業とは違って、よく考えられてると思う。

  僕は中学高校の授業って、このALTが行っている授業の「コア」にあたる部分を、もっといろんな形で展開するようにして行っていくべきなんじゃないかと思うんだけど、現状はそういう授業はほとんど行われてなくて、本質的な部分での授業内容は(たとえ表層的には大きく変わっているように見えたとしても)実は20年前とほとんど変わらず、旧態依然としてるって言わざるを得ないような気がした。

  ちなみに、このSuper Mario English Lessonの動画コメントを見ると、どうやらこのALT(もうほとんどメインの教師みたいに見えるけどたぶんALT)は、こういう授業をやってたためにクビになったらしい。なんかそれも含めて、そういうALTの扱いなんかを見ても、実は日本の教育関係者の中には、そういう旧態依然とした教育のうほうをむしろ良しとする人が意外と多いんじゃないかっていう気がしたんだけど、どうなんだろうか。どうも大分県教育庁チャンネル - YouTubeの動画を見る限りでは、意識的にせよ無意識的にせよ(あるいは、たとえ表層的には一見そう見えないとしても)、そんなふうに考えてる教育者の方が多いのかもしれないと思った。

 

ローマ字で読むな! (フォレスト2545新書)

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