マインクラフトで英語!

How do we get to speak English? The simple answer is here.

B.Q.R. J-78 『たかが英語!』

日本の英語教育の根本的な誤りとは何か。その一つは、英語教師が英語をしゃべれないことだ。(『たかが英語!』三木谷浩 著 ー p.165)

 

  以前、英語=受験英語を教えていた時、僕は自分が英語をしゃべれないことを特に何とも思ってなかったし、むしろそれは、なんていうか「無駄なこと」っていうふうに捉えていたふしがあったんだけど、例えば当時の僕であれば、この引用したような類のことを聞いてどんなふうに感じていただろう、ってちょっと想像してみると、たぶん「そんなことは些末なことで、たいして重要ではない」って考えて、ほとんど聞く耳を持たずに相変わらず受験英語の指導に邁進していただろうと思う。「スピーキング」っていうのは、いわば "英語" 学習においては「おまけ」みたいなもので、とりわけ生徒を志望校に合格させる戦略上においてはむしろマイナス要因として認識されて、とくに指導カリキュラムに組み入れるようなことはまず考えなかったし、したがって教える立場である自分自身も「スピーキング」の能力については特に問われないと。

   公教育に携わる教師は別としても、少なくともいわゆる予備校や塾などで受験英語を指導している大半の英語講師は、多かれ少なかれそういう認識を持っていると思って間違いない(まあ、そうじゃない人もまれにいるけど、おそらくそれも程度の問題に過ぎないと思う)。

  いや、ひょっとすると、中学・高校の英語教師も似たような認識を持ってるんじゃないかなあって思うんだけど、どうなんだろう。やっぱり英語を教えるその目的のひとつに「入試」っていうものが少しでも入ってくると、たとえその入試の中身がここ数十年で大きく改変されたとはいえ、その攻略方法論上においてはこの「スピーキング」って「おまけ」的な位置に押しやられざるを得ないんじゃないだろうか。つまり、「そんなこと教えてたら入試で失敗しちゃう」ってのが本音だろう。

  これってつまるところ入試だけに限った話じゃないよな、っていうのも、例えば文科省が実施してる全国学力テストでここ数年秋田県が首位をキープしてて話題になってるけど、ああいういわば教育現場間での競争的なイベントが入ってくると、ますますその攻略方法論的な英語指導が優先されるってことになって、たぶんそうなるともはや「スピーキングなんてやってられるかっ」っていうか、むしろそれをやらないことによって、読解やら文法やらに力を注いで点数稼いで平均点を上げる、みたいな感じになるだろうってのは容易に想像がつく(ちなみに、文科省が行っている「全国学力・学習状況調査」には、2019年度から「英語」が追加される予定らしい)。

  結局のところ、英語教師が(ってもちろんすべての英語教師がとは言わないけど)英語をしゃべれないのは、そもそもその能力が、既存の教育システムの構造上実質的には求められていないからなんだろうと思う。子供を預ける親にしてみても、「せめて自分の子は英語をしゃべれる子に」なんて言っても、実際の所は入試で高得点をとれるほうを希求する親の方が多いってのが現実なんじゃないだろうか。つまり、「いい大学に入れなくてもいいから英語をしゃべれるようにして!」とまで望む親はいないのだ。

  ちょっと繰り返しになるけど、以前僕は、英語をしゃべれないことを特に何とも思っていなかったし、むしろ「無駄なこと」とすら考えていた。で、今現在はどうかっていうと、どっちかというとこの三木谷社長とほぼ同じような感じのことを思っている。つまり、英語教師は英語をしゃべれないといけない。なぜか。たいして難しくないからだ。

  で、このあたりのことをもう少し次の記事で書こうと思うんだけど、今回の記事はとりあえず三木谷社長の以下の手厳しい一節を引用して終わりにしよう。

英語の話せない英語教師には別の科目に移ってもらったほうがいいだろう。彼らを教育し直すのは時間と金のムダだ。

 いや、本当は、英語の話せない教師は即刻クビにすべきなのだ。雇用保障があるから解雇は現実的には難しいのだろうが、率直に言って、日本の将来を担う子供たちを任された英語教師が、英語をしゃべれなくてもクビにされないなんて、僕には納得できない。ー p. 167

   いやあ、厳しいこと言うなあ。この人、トランプなんかよりずっと暴君だったりして......。" You're fired!!! " 僕はさすがにここまでは言えないな(笑)。

  もっとも、僕は自分で自分をクビにしたんだけどさ。

 

たかが英語!

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