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A.Q.R. J-4 『Beatrice』他

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Julia Margaret Cameron「Beatrice」35.8×28.8 cm 一部

 

   Julia Margaret Cameron (1815 ~ 1879)。インド、カルカッタ生まれ。1863年に娘からカメラをプレゼントされたのをきっかけに写真を撮り始める。1865年、キリスト教の9つの美徳を表現した連作を大英博物館に寄贈。写真データを著作権事務所に登録・保管していたため、数多くの作品が現存している。

 

  小学生の頃に、長野県にある宝剣岳(2931m)っていう山に登って、頂上で父と母と弟が3人並んで「ばんざい」してるところを撮った写真が、何かの写真展で1等をとって新聞の地方欄に掲載されたことがあったんだけど、ひょっとするとこの時撮った写真はたぶん誰が撮ってもそれなりの評価をされたんじゃないかと思ってて、というのも、この時の登頂ルートが、いくつかある一般ルートのうち(なぜか)難度の高い(たぶん極楽平の方の)ルートを採ったために、今でもはっきりと覚えてるんだけど、断崖絶壁(と言っていいくらい)の岩場を、ボルトで留められた鎖につかまりながらほぼロッククライミングの状態で、どこからともなく聞こえてくる「ぜったい下を見るな~!」っていう声を聞きながら、時折霧の立ち込める鎖場をほとんど絶望的な思いでよじ登った末に、父と母はその登頂に成功した安堵から満面の笑みで両手を挙げてばんざいのポーズをとり、間に挟まれて写っている弟は、その極限状態から解放された安堵とたぶん半分高山病にかかって意識もうろうとしている憔悴しきった表情で、挙げた両手も半分までしか挙がらないその親子の落差がなんだか面白おかしいその瞬間をフィルムに焼き付けることができた。おそらくこれは、誰が撮ってもそれなりに見ごたえのある写真になっただろう。

  一方で、例えばその時撮影した僕自身もまた非常な興奮状態にあったから、あの写真はそういったいわば共体験をした撮影者と被写体との微妙な相乗効果によって生み出されたある種の「作品」だったのだという見方をするとしたらどうだろうか。もしその時一緒に登っていた、っていうよりたぶん我々の登山を無謀と思って一緒に登ってくれた(ひょっとすると山岳パトロールの人か何かだったんだろうか)その人達に頼み、そうやって撮影してもらった写真だったとすればどうだろう。我々はそこまで無邪気に、笑ってばんざいすることができただろうか? あるいはそこまで無防備に憔悴し、その恐怖からの解放を何か甘えるように訴えるような表情でその視線をカメラに向けることができただろうか? ひょっとすると、あの写真は僕だったからこそ、っていうよりあの極限状態を(と当時小学生の僕には感じられた)ともに体験し乗り越えた家族だったからこそ生み出し得た奇跡の「作品」だったのかもしれない。

  三菱一号館美術館 | 新しい私に出会う、三菱一号館美術館で今日19日まで開催されていたジュリア・マーガレット・キャメロン展のパンフレットによれば......

1863年末に初めてカメラを手にしたジュリア・マーガレット・キャメロン(1815 ー79)は、記録媒体にすぎなかった写真を、芸術の次元にまで引き上げようと試みた、写真史上重要な人物です 。

っていうことらしいんだけど、この19世紀当時、写真がまだ単純に記録媒体としてしかみなされていなかったのは、おそらく(まだ写真機を含む技術そのものが発展途上だったということの他に)たぶん当時の人の間では、写真っていうものが結局のところ現実の写し取り=複製技術に過ぎないっていう認識が強かったからなんじゃないかと思うんだけど、そんな中にあって、ちょっとお金持ちのおばちゃんが、暇を持て余して娘からプレゼントされたカメラをいじってるうちに、この複製技術が「芸術作品になるんじゃないかしら」って気づいちゃって、それでちょっとハマって好き勝手やってたら、なんだかそれらしいものが出来上がってしまった。それが実際に「芸術の次元」にまで引き上げられたかどうかは別として、このおばちゃんは、写真っていう複製技術に秘められていた可能性っていうか分野っていうか、そういう新しい芸術の領域を、ある意味自覚的に、そしてあるいは無自覚のうちに開拓した最初の一人だったんじゃないだろうか。

  一方で、「開拓者」っていうのはそれが第一人者ってことだけで評価されて、あるいはなんかいろいろもてはやされて持ち上げられて、その評判の尻馬に乗っかって、肝心かなめの作品なりなんなりのその「当のもの」それ自体よりも、なんだかその周辺の取り巻き的な話題だけが独り歩きしちゃって、「なにやらすごいらしい」っていうことでいざその「当のもの」を鑑賞してみると「あれ?」なんて思うことがあったりする。とりわけその「開拓」が、当時あまりに斬新に過ぎたような場合なんかだと、実はその斬新さの魅力はとうの昔に後退してるのに、その目新しさが持続していた時の盛り上がりだとか再評価だとかその再発見だとか、そういう周辺的な名残りのようなものがなぜかいつまでも再生産され続け、結果あとに残された「当のもの」は、なんだかありきたりのつまらない、っていうより前評判のそういう期待からくる反動的な「がっかり」なんていうことになってしまうことがまれにあったりする。

  ジュリア・マーガレット・キャメロンの写真は、たぶん写真のとりわけ現像技術に詳しい人であれば相当に興味深いものがあるのかもしれないんだけど、率直に言ってそういう技術的な知識を持たないものにとっては、専用の液に湿らせたガラス板だとか何種類もの現像液だとか印画紙の処理法だとか、まあ「ほ~う」とは思っても、それ以上の何か感慨があるかっていうと、まあない。だからひょっとするとこれら164点に渡る写真の完成度みたいなものって、見る人が見ればもしかするとちょっとため息が出るような「レアもの」っていう感じのことになるのかもしれないんだけど、そういう「19世紀当時の写真としては」っていう視点は残念ながら僕はほとんど持ち合わせてなかったし、ほとんど興味がなかったから、結局のところこれらの展示はそういう「開拓者」的な要素抜きに観てしまうってことになったんだけど、で、それでどうだったかというと、これが意外と面白かった。

  その面白さの出どころは、おそらくジュリア・マーガレット・キャメロンが、写真っていう複製技術がもつある種の可能性にまだ無自覚だったっていうところにあるんじゃないかと思ったんだけど、それはつまり、その幾種類もの専用の液だとか印画紙だとかなんだとか、あるいは各作品に表現されている「寓意性」だとか「モチーフ」だとかなんだとか、そういういろんな技術や主題を駆使して表現しようとしたものとは全然別のところに偶然現れてしまった、写真=複製技術がもつその「作品性」だったように思う。そしてそれはほぼこの164点全体に共通して漂っていた、ある種の空気だったように僕には感じられた。

  そのある種の空気がどのようにして「作品」に現れ出たのかは分からないんだけど、ひょっとすると、って言ってちょっと想像してみるに、これら「作品」のモデルとして長時間カメラの前でポーズをとらされていた家族やら友人やら家政婦やら被写体となった人たちは、このカメラマニアのおばちゃんを、内心相当奇異な目で見ていやしなかったろうか。写真がまだ記録媒体としてしか認識されてなかったこの時代に、ましてその現像技術になんら興味のない人々にとってこのカメラマニアのおばちゃんは、うっとうしいとまではいかないまでも、なんかちょっとうちとけない、近寄りがたいっていうより近寄りたくない、よくわからない「変わった人」なんていうふうに見られていやしなかったろうか。その作品が、当時なんらかの評価を受けていたのならまだしも、「同世代人たちはそれを非難し、嘲笑さえした」というから、いやひょっとすると「変わった人」どころではなかったかもしれない。そこに漂う空気って、もしかすると、そんなおばちゃんに対する「哀れみ」のようなものっていうか、ある種の「同情から来る緊張感」っていうか、そういうものだったんじゃあないだろうか。

  引用した写真のモデルは、キャメロンの義理の姪っ子らしんだけど、なんかこんなため息が写真の奥から聞こえてきやしないか?「おばさん、何やってるんだろう。はあ、疲れたなあ。はやく終わんないかなあ。あれ? ヒィっ! おばさんにらんでる.... 動いちゃダメダメ。私のバカバカっ。はあ、早くおこずかいもらって、ホットチョコレート飲みに行きたいなあ」

  たぶん展示作品を見るうちに、覚えず笑いがこみあげてきてしまったのも、その写真に偶然入り込んだ、何か一種独特の「緊張感」みたいなのを感じての、素直な反応だったかもしれない。