マインクラフトで英語!

聞いてしゃべれて読めて書ける、最もシンプルな方法と本質論。

B.Q.R. J-74 『毎日30秒 iPhoneで英語を学ぶ』

日本の学生がよくやる単語カードや単語集で、英単語とその和訳を丸暗記するという方法は、実用英語でも大学受験でも、実はあまり効果がないと言われています。(中略)「まず単語の暗記」という方法は、多くの英語の達人が否定していますし、私の経験からも間違っていると思います。(『毎日30秒 iPhoneで英語を学ぶ』梅方久仁子 著 ーp.127)

 

  例えば、(これはB.Q.R. J-73の続きなんだけど)"a dog" の「意味」って何かって考えた時に、受験英語的な単語集なんかによくあるようなその対訳の "犬" って、これは「意味」じゃなくて日本語「訳」なわけであってもちろん「意味」ではないけど、といってこの "a dog" を「表象」、それが指し示しているものを「意味内容」っていうふうに二項対立化させてその「意味内容」を追おうとすると、なんていうかこの「意味内容」って、日本語の "犬" のほうに備わっている「意味内容」を引っ張ってきてそれを "a dog" と結び付けてしまうような感じになっちゃうんだけど、なんかこれは違うんだよね。

   この『毎日30秒 iPhoneで英語を学ぶ』の引用はこの過去記事にもあるんだけど ......

 

espinmc.hatenablog.com

 この時にやっていた(んだけど結局途中でやめてしまった) "vocabuil" が、今思うとこの「日本語の "犬" のほうに備わっている「意味内容」を引っ張ってきて、それを "a dog" と結び付けてしまう」っていうやり方だったように思う。もちろんここで言う表象としての "a dog" は「文字」じゃなくて「音」なんだけど、このやり方は結局「暗記」に近いものになっちゃって、「なんか違うんだよなあ」と思いながら徐々にこの "vocabuil" からはフェードアウトして、それと同時に「音」を聞いてその「意味内容」を思い浮かべられていた単語はどんどん減っていってしまった。つまり、この時やってた "vocabuil" は(文脈を利用してとか映像化してとかいろんな工夫はあったにしても)結局はそういう類の「暗記」だったという気がする。

  ただ、不思議なことにというかなんというか、この時インプットした「音」はしっかりと残ってるんだよね。

「音」は認知記憶(言葉で説明できる記憶)とは別の脳領域に保存されるので、「音」には記憶を確かにする効能があるのです。 

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 らしいんだけど、たしかにこの「音」の記憶に関しては「暗記」で身につけようとした記憶とはちょっと別物っていう感じがして、なんていうか「暗記する」とか「忘れる」とかっていうのとはあまり関係がないっていう感じだ。

  で思うに、人間の言語獲得プロセスで注目すべき点ってこのあたりにあるんじゃないかと思うんだけど、自分自身がすでに持っている母語の言語的記憶としての「意味」って、なんかこれに近いものがある。つまり、母語の「意味」って「暗記」したわけじゃあないし「忘れる」っていうことがまずない。まあ40を手前にして(あの手この手でごまかして、あとで慌てて調べもの的な)「度忘れ」みたいなのはたまにあるとしても、その言葉を見聞きしさえすれば、「意味」を忘れてるっていうことはまずあり得ない。つまり、この「音」としての言語的記憶の感じは、母語の言語的記憶としての「意味」の感じに非常によく似ている。

  そこでちょっと思うのが、この「音」って「意味」なんじゃないかっていうことだ。「意味」って、その時間的な経過によって一般化された文法規則的なものから、それを使用して生み出される「意図」としての「意味」のようなものまでその射程って結構広いわけだけど、それらは結局のところ、そこに(一応は)多様な組み合わせとルールを見いだすことができる、いわば「意味音」みたいなものなんじゃないだろうか。

  「意味」っていうものを、二項対立的に構造化した「表象」に対する「意味内容」としてじゃなくて、そんなふうに「意味音」みたいなものって考えると、例えば語学学習における "vocabuil" って、なんていうかその「音」そのものをある意味進化させていくようなイメージになるんじゃないかと思う。それは、例えば "a dog" っていう単語の「音」それ自体が、その学習過程においてその「姿」を変えていくっていうか、充実させていくっていうか、初めのうちは単なる音に過ぎなかったものが徐々に進化していって、もう「音」っていうよりも、目で見て触って吠えてくる実在の犬と変わらないほどの「存在性」みたいなものを帯びるようになるんじゃないだろうか。

  おそらく、例えば母語としての日本語の "犬" っていう単語の「音」に胚胎している「意味」って、その母語としての日本語の "イヌ" っていう「音」それ自体なんであって、それは分割して他の言語と結び付けることなんて本来的にはできないはずの、その単語そのものに極めて固有のものなんじゃないかと思う。だから、たとえば "a dog" という単語を身につけようとする場合には、日本語の "犬" のほうに備わっている「意味内容」を引っ張ってきて、それを "a dog" と結び付けてしまうんじゃなくて、この "アダッグ" っていう「音」=「意味音」を、それ固有のものとして育まなければならない。あるいは、こういう "a dog" みたいな「名詞」って要するに「名付け」だから、その言語的な機能って一見すると「音」とその「(犬の)像」との連結から成り立っているようにも思えるんだけど、「(犬の)像」ていうのは実は意味を構成している(って言っていいんだろうか? まあ構成している)一要因に過ぎなくて、実際には他にも「鳴き声」だとか「感触」だとか「犬のニオイ」だとか「表情」だとか「習性」だとか「行動パターン」だとか、そういう無数の経験的な集合体が控えてて、そういうものの「集積」によって成り立っているわけだから、例えば語彙の習得を「表象」とその「意味内容」に分割してその連結=「暗記」として行っていくっていうのは、そういう無数の経験的な集合体の極一部のみに執着して、ひたすらその一部の経験のみを反復している、っていう非常に効率の悪い学習をしていることにもなりかねないんじゃないだろうかと思う(まあ、"a dog" っていう「名詞」の例はかなり単純化したものになるけど、これは単語の抽象度が上がるにつれて、あるいはその組み合わせがより複雑になるにつれて、その非効率性はより顕著になってくると思う)。

  「音」自体が「意味」であるっていう認識のもと、その「意味音」をある意味「実在物」と同程度にまで進化させ、充実させ、実在させること(っていうとなんかオカルト的に聞こえなくもないんだけど、そういう「実在物」とほとんど同類のものと考えること)、この方向にこそ時間を割くべきなんだろうと個人的には思うんだけど、じゃあそのためにはどうしたらいいのか? たぶん、ここまでこうして「意味」についてちょっと入り組んだ考察をしていると、なんだかその「方法」もまた込み入った感じになりそうだっていう気がしなくもないんだけど、実はこれは以前から書いているように(毎度のことながら)驚くほど簡単なのだ。そう、つまり、いっぱい聞いていっぱい真似してしゃべるだけ。これだけだ。

  もっとも、その具体的な方法はどうなのかっていうと、これはまた書いてると、ちょっと長くなっちゃうな。本当は今回は学習ツールの紹介もするはずだったんだど、それも併せて、まあ次回にまわそう。

 

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