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マインクラフトで英語!

How do we get to speak English? The simple answer is here.

B.Q.R. J-70 『生成文法の考え方』

生成文法の研究の進め方は、一般の科学における進め方と、大筋においては変わりない. たとえば, 次のような作業が含まれている.

(40) a. 観察および一般化

  b. 仮説の構築

  c. 実験デザイン

  d. 実験結果の考察と仮説の修正

(『生成文法の考え方』北川喜久・上山あゆみ 著) 

 

  なんだか難しい本を読んでしまったな、っていうのが率直なところなんだけど、ただ、難しいわりにある程度内容を理解できたのは、おそらく著者の努力によるものが大きいんだろうと思う(ただ、とはいえ、著者が2人いる共著ってやつだからなのか「あれ?」って思うところがいくつかあったといえばあった。例えば、「虚辞には意味内容や指示物がなく」「θ役割をもたないNPだ」といって出された文が "It is likely that John will come back in time." で、この"It"は「θ役割をもたず、項として機能していない虚辞だ」って言うんだけど、素人考えでは、この "It"はthat以降の内容を指してるから、意味内容も指示物もあるし、ってことはθ役割はあるし項としても機能してるんじゃないの? って思うと次のページで「数多くの疑問も残る」から「『虚辞』という概念を」「もう一度検証してみる必要があるだろう」なんていうおそらくもう一人の著者からの突っ込みが入るっていう感じだ。ちょっとこういうのがあると「いったいどうなってるんだ?」と思ってしまう)。

   ともあれ、"θ役割"だの"COMP"だの"INFL"だのいろいろ用語が登場した割に難解という感じではなかった(もっとも、GB理論時代のトップダウン方式の文生成から180度変わってボトムアップ方式の文生成へと変わったミニマリスト・プログラム?だったかな、このあたりの変化って天動説から地動説へってくらい相当大きい変化のように思えたんだけど、著者曰く「実質的には大きな違いはない」っていうんだからたぶんちょっとまだ理解できてない部分もかなりある、っていうか1週間かそこらで「生成文法全部理解しました」なんて言ったらチョムスキーもぶったまげて化けて出てくるだろう、って書いて調べたら、チョムスキーさんまだお元気なようで......)。

  なんか、カッコ書きの方が多くなっちゃって、どっちが本文かよくわからなくなってきてるんだけど、ちゃんと本題に戻ろう。

  生成文法が扱ってる「文法」は、いわゆる受験英語的な文法でいうところの文章構造=SVOCMの類に近いものを主に扱ってるんだけど、それは単に表面的な文章解析にとどまらなくて、なんていうかそれをもっと抽象化していく作業に重点が置かれてるっていう感じで、例えば受験文法で言うところの不定詞のtoなんかは助動詞と同じ範疇で扱われて "INFL" なんていう用語でひとまとめにされちゃって、まあとにかくなんていうか、文章とその「構造」を対立化させて、しかもその「構造」の共通項(不定詞のtoと助動詞みたいなの)を徹底的に「形式化」していくっていう特徴がある。

  その方法は一言でいって、既に引用したように、仮説と実験を繰り返してある一定の理論を導くっていう要するに「科学の方法」だ。ということは、この生成文法って要するに「合理主義」っていうか、そういう自然科学の領域で使われる実証主義の方法を人文諸学にも適用しようとした例の「近代合理主義」っていうか「客観主義」っていうか、そういうものの考え方をその根底に持ってるってことになる(哲学思想的な系譜でいえば、構造主義哲学だとか記号論だとかに影響を与えたソシュール言語学の影響を大きく受けている)。

  で、この生成文法の具体的な方法をざっと見てみて思ったのは、まず、生成文法の試みは原理的に不可能だろうっていうこと、というのも、こういう「形式化」っていのうのは結局大きく2つの壁にぶつかって、1つは言語の多義性の問題(おそらくこれが「生成意味論」っていうもう1つの「学」を生み出したんだろうと思うんだけど)、それからもう1つが、厳密なルールを作ることの不可能性(とにかく次から次へと突っ込みが入って、未だに統一したルールが作られるどころかますます混迷を極めてるように見えるけど、これは結局のところルールの説明自体がそもそも言語によっているっていう例の「自己言及性の問題」と絡む)、おそらく少なくともこの2つの問題をクリアしないと、生成文法が目指すところの"普遍文法"っていうのにたどり着くことは難しい(仮にたどり着いたとしても、それはいろんな問題をそぎ落とした結果としての、もはや「文法」とは呼べない、なんかそれにいったいどんな役割があるのかよくわからないような空疎なものになちゃう)んじゃないかと思う(著者は「そんなことはない」って言ってるけど)。

  ともあれ、この「形式化」という方法の原理的な不可能性みたいなものを感じたのが1つ。

  それからもう1つ、この生成文法の具体的な方法を見て思ったのは、そこから導き出される「ルール」を土台として、これを語学学習、とりわけ初期の段階での語学学習に利用するのはあまり意味がないっていうことなんだけど、それは、生成文法であれ伝統文法であれ受験文法であれなんであれ、こういう「ルール」って、言語を実証的に分析した「結果」なわけだけど、そもそも(生成文法でいうところの純粋なメカニズムとしての"普遍文法"も含めて)、我々が持っているとりわけ母語としての文法ルールって、そうやって「形式化」を推し進めて結果として見出されるものとは全然違って、むしろ我々が言語を使う中で日々生み出しているもの(っていうか生み出されているもの)なんであって、なんていうかちょっとうまく言えないんだけど、それは「形式」なんじゃなくて、そういう言語活動の「働き」そのものなんだろうと思う。しかも、それを動かしているもの、それを可能にしているものって、形式論的にどんどん追い詰めた結果として見出される "純粋なメカニズムとしての文法" なんじゃなくて、もっと別のものっていうか、我々がその言語を使うことそれ自体によって動いてるんじゃないだろうか(そう思う理由はなんでかっていうのを書くのは難しいんだけど、経験的に言ってそんな気がする、ってこれは理由になってないか)。

  だから、生成文法の役割って、プログラミング言語に限らず多くの功績があったし、この先もそういう功績を残せる領域は見出し得るとしても、少なくとも語学学習、特に初期の語学学習なんかだと、こういう「形式としての文法」を言語活動の「入出力源」として活用するのはあまり意味がないと思う。それは経験的に言って、どれほど文法を学んでも、そうやって外から植え付けられたものは、それを入出力のメカニズムとしてうまく機能させることができないからだ。それよりもむしろ必要なのは、言語活動そのものを実際に行うことによって、「形式としての文法」じゃなく「働きとしての文法」みたいなものを学習者自らが生み出し、時に見出していく、それを可能にするための方法とカリキュラムなんじゃないだろうか。そんなふうに思った。

  ところで、1つ前の投稿でも引用した(いや、確か引用したはず......) クラウドからAIへ アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場 (朝日新書)にこんな記述がある。

つまり自然科学の原理が根本的に解明された後、それをベースに確立されるものこそが本物の技術。逆に人間の頭脳の原理などお構いなしに、「結果さえ出せば、文句はないだろう」とする現代の統計・確率的なAI技術は、チョムスキー氏から見れば全くの邪道で、将来性はないと映るのです。

   チョムスキーは初期のAI=人工知能技術の開発に携わっていたけど、それはルールベースのAIで、この統計・確率的なAI技術と対立するものだった。ところが、今現在加速度的に進化し続けているAIはこのどちらとも異なる。

AI研究の開始から半世紀以上を経て、彼らはルール・ベースにせよ統計・確率的アプローチにせよ、そういった理詰めの手法では人間の知性を再現することが不可能であると悟ったのではないでしょうか。(中略)そこで彼らは、本物の知性の創造を「ブラック・ボックス(無数の形式ニューロンの自己組織化)」に委ねたのです。 

   現在AI技術の分野では、ある一定の「ルール」をコンピュータに移植するのではなく、コンピュータ自らがそれを学習していくニューラル・ネットワークが主流になっていて、しかもこれは音声認識、自動運転、医療を含めいろんな分野で既に実際に結果を出しつつある。だから(専門的な詳しいことは分からないんだけど)たぶんAIシステムの分野では、チョムスキーを急先鋒としていた理論はやがてその役目を終えることになるんだろうと思う(なんかチョムスキー自身もそんなようなことを言ってるらしいしね)。そして、私見によれば、語学学習の領域でも、その学習環境の急速な変化(とりわけ流通する情報の質的量的変化)も相まって、古典的AIシステムならぬ古典的英語学習システムの終焉も近いんじゃないだろうか。

  ただ問題は、果たしてそのシステム移行の舵を思い切って切ることができるかっていうことなんだけど、 正直これだけ複雑多岐にわたる膨大な文法理論の構築に参与してきた学者にその勇気と気概があるかっていうと、「う~む」と首をかしげてしまう。もちろん既に(詳しくは知らないけど、例えば認知言語学なんかの分野みたいに)全く別のそれを乗り越えようとする研究が、それはそれでちゃくちゃくと進んではいるんだろうけど、別の投稿でも書いたように、英語学習関連の書籍全般で文法の重要性を主張してやまない人にどうも学者が多いっていう現状をみると、まあまだしばらくはこういう文法重視の古典的英語学習システムは生き残っていくのかもしれない(そしてそれによって割を食うのは、外国語とりわけ英語を学ぼうとする意欲ある若者に他ならない)。

  と言っても、意欲ある若者は、放っておいてもちゃんと自分で舵切ってうまく航海していくんだよねこれが。あ、マインクラフトで英語、っていうかゲーム実況を利用して英語のスピーキングの練習。もし君が若者なら、その舵取り大正解だよ。

 

生成文法の考え方 (英語学モノグラフシリーズ)

生成文法の考え方 (英語学モノグラフシリーズ)