マインクラフトで英語!

聞いてしゃべれて読めて書ける、最もシンプルな方法と本質論。

B.Q.R. J-44 『セイン・カミュのなぜ英語が苦手なの?』

受験英語ではなくて、コミュニケーションとしての英語を使いこなそうと思うなら、いままでに得た英語の知識は、思い切って捨ててほしいのです。(『セイン・カミュのなぜ英語が苦手なの?』セイン・カミュ著 ーp.215)

 

  受験英語として得た知識ってどんなものがあるかと言うと、文法・語法、単語・熟語の日本語訳、構文、その他和訳や問題を解くための方法・テクニック、細かく見るときりがないんだけど、大きくこんなところだろうか。

  文法についてはこの前の投稿でも書いたんだけど、これは意外と簡単に捨てられるような気がする。理由はよくわからないんだけど、speakingなんかの練習をしていて初めのうちはものすごく邪魔に感じてても、いつの間にか捨てることができてしまうと思う。それは、文法知識が血肉化されるとかっていうのとはちょっと違って、speakingの時は、文法知識とは別のもの=音の連鎖のようなものに頼って文を繰り出すようになるからなんだと思う。だから、文法(それから語法や構文も)思い切って捨てるってことをしなくても、自然に使わなくなっていくと思うからそんなに心配ない。なんか、どっちを使うかっていう選択の問題になると思う。

  問題は単語・熟語の日本語訳、それから和訳の方法、というかクセだ。

  たぶん、受験英語の延長線上で英語を一生懸命勉強している人は、かなりの量の単語・熟語の日本語訳を貯めこんでると思う。そして、その貯めこんだ日本語訳の維持に毎日それなりの時間を割いてるんじゃないかと思う。それなりのというのは、暗記の初期の段階と、すでに暗記したものの確認のみで済む段階とではそれに割く時間も労力もだいぶ違ってくるからなんだけど、いずれにせよ、よほど暗記が得意な人を除けば、その労力たるや涙ぐましいものがあることはよ~くわかります(暗記したものの確認を怠ったがために、また一から暗記し直さなくてはならなくなった時のあの悲しさといったらない)。

  だから、この単語・熟語の日本語訳を捨て去るということはものすごく難しい、というかものすごく勇気のいることだと思うんだけど、これをやらないとまずlisteningができない。そして、listeninigができないとspeakingもできない。つまり、聞けないししゃべれないので「コミュニケーションとしての英語」を使いこなすということはできないです。そしてさらに、「この暗記をやらなくていいんだったら今すぐにでも捨てるぜ!」といって(勇気をもって?)暗記をやめたところで、次に和訳のクセを捨てることが今度は別の意味で難しい。そう、これは文字通り「クセ」なので捨てたくてもなかなか捨てられない、なんか気付くとやってしまってるし、わかっちゃいるけどやめられない。

  受験英語の知識を捨てずにバリバリ聞けてしゃべれるようになったというならそれはそれでいいと思うんだけど、もしいつまでたってもそうならないというのであれば思い切って捨ててみるといいよ。中にはあっという間にしゃべり始めることができるって人もいると思う。僕がそうだったからね。さあ、書を捨てて街に出よう!

 

セイン・カミュのなぜ英語が苦手なの?

セイン・カミュのなぜ英語が苦手なの?