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B.Q.R. J-43 『セイン・カミュのなぜ英語が苦手なの?』

文法重視の英語教育が、日本人の英語嫌いを増やし、英語がしゃべれない原因の一つとなっているんだと痛感します。(『セイン・カミュのなぜ英語が苦手なの?』セイン・カミュ著 ーp.28) 

 

  僕が英語をしゃべり始めた当初、この「文法」に関して感じていたことってとにかく邪魔!ってことだった。しゃべる時にどうしてもいろいろ考えてしまって、なんか頭の中で文を1回組み立ててからしゃべってたんだよね。もうその時は、ほとんどしゃべる文を文字化して、それをなんだか読み上げるような感じでしゃべってたな。いや、それはとてもじゃないけどしゃべってるとは言えないものだったし、「あれ? この文法であってたっけ?」なんてことになるともう全くしゃべれなくなってしまってた。

  だから、確かに文法重視の英語教育って英語をしゃべれなくしている原因の一つになっているとは思うんだけど、ただ最近ちょっと気付いたのは、今現在は、以前ほどというかもうほとんど文法のことを意識しなくなってきてるのだ。これはちょっとびっくりした。この投稿を書こうとした時も「文法はspeakingに際して邪魔以外の何物でもない!」みたいなことを書こうと思ったんだけど、ふと今の自分を振り返ってみると、もう以前ほど文法を意識することがなくなっていて、文法に関しては邪魔とは感じなくなってる。

  まあだからといって、じゃあ文法って必要なのかっていうとそうじゃなくて、なんというか、しゃべり始めた当初はたしかに邪魔だったんだけど、それはほんとに最初のほうだけで、そのあとはすぐにどうでもよくなっちゃったのだ。つまり、しゃべり始めるようになると、文法って邪魔だから使わなくなるし、加えてその後は、それがなくても、なにか音の連鎖のようなものでカバーできちゃうようになるから、もうはっきりいってどうでもよくなってしまうんだよね。だから、これは推測に過ぎないというか僕の勝手な感じなんだけど、はっきりいって文法ってspeakingにはあってもなくても関係ないのだ。別に勉強してもいいし、しなくてもいい。

  当初僕はこう考えてた。文法はspeakingの際邪魔になるからむしろ学ばないほうがいい、と。でもここのところちょっと違う感じがしてる。それはどっちでもいいと。確かにしゃべりはじめのうちはものすごく邪魔に感じるんだけど、speakingにはこれは必要のないものだと分かるようになるとそれをあまり気にしなくなるので、学んでも学ばなくてもどっちでもいいんだと思うようになってくる。

  だからこう思う。もし、英語を聞けてしゃべれる人材の育成を目指すのであれば、文法重視の英語教育はあってもなくてもいい。だからどうせなら、英語全般で行われてる解説等も含めて、文法に割いている時間を全てlisteningとspeakingに充てればいいと。ん? もうそうなってるのか?

 

セイン・カミュのなぜ英語が苦手なの?

セイン・カミュのなぜ英語が苦手なの?